社長: 2009年9月アーカイブ

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戦国時代、当時としては奇異、仲の良い夫婦の代名詞、細川

忠興・細川ガラシャ(明智光秀の娘、玉子)夫婦の実態は

いかがなものでしたでしょうか?

色々と諸説はありますが、間違いなくかなりの、

美男・美女でした。忠興は茶道に長け(千利休に師事)、

又大変な筆まめでした。

足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と仕えましたが、

特に関が原の戦いの後だけで情報交換のため諸侯に送った

書簡だけでも200通以上残しています。

朝鮮出兵の折、ガラシャ夫人に送った手紙に、

「秀吉にはくれぐれも注意して・・」

の一文、やはり夫婦仲はよく、ガラシャ夫人は相当の

美人の証明かも!!いつの時代にも美人で聡明な奥さんを

持つと気配りが大変ですよね???

ガラシャ夫人は石田光成・家康討伐の策として他の

大名家族と共に大坂城で人質となり自害しました。

細川家存続のために一命を捧げたのです。

その直後、細川忠興は関が原の戦いで大殊勲を挙げ、

その功績により豊前四十万石を賜りました。

以後、細川家は肥後に移り、300年後、18代目当主

細川護煕氏が79代内閣総理大臣となりました。

 

皆さんご存知のように、夫婦、男女の仲は大変難しいものです。

結びつきの強さは共に生きる長さだけでははかれません。

短くも熱く燃えつきる愛!!忠興・ガラシャの関係は

一つの究極の夫婦像なのかもしれません。

 

 

 

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随分前の話ですが、娘の幼稚園にて、生徒さんの

保護者(お母様)の間で、自己紹介をする機会がありました。

 

「仙台、伊達藩の伊達でございます!!」

いきなり家系を紹介される事にびっくりしましたが、

正に直系でありました。

 

伊達政宗は世渡りの天才、秀吉に取り入り、家康にも好かれ、特に三代将軍家光には数少ない戦国の経験者として尊敬されました。彼の徹底且つ緻密な戦略は群を抜いていました。幕府に二心無き証拠として仙台・青葉城には天守閣も造りませんでした。常に諜報者(忍者)を幕府に配し、情報を入手、先手先手の政治力を発揮しその手法は代々引き継がれ、明治維新まで続きました。現代までご先祖が脈々と続かれたのも納得です。

ちなみに、娘の同窓の伊達君はつぶらな瞳のとても優しくいい子でした。

 

伊達政宗が広告会社の経営者ならば大成功させる人物かもしれません!

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プロフィール

名前: 松波頼明
出身地: 愛知県
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